常に、今まで見た事のないパターンやディテールを追求してきた久保は、ここ数年、自身のルーツを振り返るにあたり、‘日本’そのものと向き合ってきた。 そうして見つけた久保の脳裏に焼き付いて離れない‘日本’。これをどう「yoshiokubo」に昇華していったのかーー。そのストーリーを紐解こう。(企画・取材・文 松下弥郎氏)
久保嘉男は「yoshiokubo」の22SS collection shooting for Paris Fashion Week をデジタル配信でみせた。コロナ禍となって通算3度目になる。
撮影場所は東京・広尾の廣榮山 法雲寺。恵比寿のプライムスクエアの裏辺りにある日蓮宗の静かなお寺がその場所だ。小松浄貴住職の協力もあって実現した。
日蓮宗のお経はテンポが早く激しいことで知られる。聞きようによってはラップのよう。久保が日蓮宗のお寺を探したのもそんな理由からだ。ファッションと密接な関係にある音楽の要素と、ここ数年ハマっている日本や和を体現するお寺文化。シューティングの場所として、これ以上のシチュエーションはない。
ここ2,3年、日本的なるものへの関心が高まり、自身のコレクションにも取り入れるようになってきた。「パリに行ってからですかね。自分のブランドって一体なんやねんって思いだして」。お前は誰なんだ、という洋服の世界からの問いかけへの答えを探す必要に迫られた。
自分らしさとは何か。それを追求するために幼少の頃にまで遡(さかのぼ)った。自分をつくりあげた、幼い頃に過ごした大阪での記憶。人は育った土地の水と空気と土からできあがり、友達との夢中の遊びから多くを学び身につける。「べったん(めんこ)とか、ようしてましたしね。駄菓子屋行って買い食いしたり」。
数年前、大阪・寝屋川市の、今は空き家になっている生家を訪ねた。「ボロボロの文化住宅で、一緒に行った奥さんも土足で入ったぐらいです(笑)」。40年ほど前なので記憶は薄いが、憶えていたひとつが大漁旗。風呂敷のように大漁旗で布団などを包み、しっかりと結んでいた絵図が頭のなかに残っていた。久保の祖父は三重県南部、熊野灘に面する尾鷲市で漁師をしていた。不要になった祖父の大漁旗を母親が使っていたのだ。
その記憶は、日本らしい、自分らしいコレクションのヒントになった。久保の個人史は久保以外の誰のものでもない。本当のオリジナリティは普遍的な価値を持つはずと考え、20年春夏のコレクションにそれは反映させた。
19年の6月のパリで展示会前にセーヌ川の船上でみせたのは、そんなアイディアが込められたコレクションだ。日本で作ったVR(仮想現実)のムービーで、千葉県の海沿いでシューティングした。
VRのヘッドセットを着けて見ると360度のパノラマが広がり、鄙(ひな)びた桟橋をモデルが歩く。波の音や微かな揺れもムービーの内容と同期していい演出になった。「自分みたいな新参者がプレスやバイヤーの目をひこうとおもたら、こんなぐらいしないとダメだと思った」と久保。デジタル時代の新しい見せ方の提案という意味もあった。
今まで見た事のないパターンやディテールの追求というのが久保の頭の中に常にある。それを西洋の洋服文化という文脈ではなく、自分の個人史に始まり、その後、自ら調べ、さらに興味を持った日本という国の文化に求めたのが昨今のコレクションなのだ。レプリカや復刻ではなく、自分なりに昇華して新しいものとしてみせていくのが仕事と考えている。「この年になっても日本の事って何にも知らないな、と色々と調べるきっかけになりました」。
自らを形成するコアな部分を見つめ直して、自分なりに“らしい”ものを追求したのが、ここ数回のコレクションだ。「僕らと同じように海外に行く他のブランド見ても、そんな風なことはやってませんし、おもしろいかな、って」。和の要素とスポーツのミックスに加え、プリントや切り替えでデザインの面白さを追求している。
久保嘉男は「yoshiokubo」の22SS collection shooting for Paris Fashion Week をデジタル配信でみせた。コロナ禍となって通算3度目になる。
撮影場所は東京・広尾の廣榮山 法雲寺。恵比寿のプライムスクエアの裏辺りにある日蓮宗の静かなお寺がその場所だ。小松浄貴住職の協力もあって実現した。
日蓮宗のお経はテンポが早く激しいことで知られる。聞きようによってはラップのよう。久保が日蓮宗のお寺を探したのもそんな理由からだ。ファッションと密接な関係にある音楽の要素と、ここ数年ハマっている日本や和を体現するお寺文化。シューティングの場所として、これ以上のシチュエーションはない。
ここ2,3年、日本的なるものへの関心が高まり、自身のコレクションにも取り入れるようになってきた。「パリに行ってからですかね。自分のブランドって一体なんやねんって思いだして」。お前は誰なんだ、という洋服の世界からの問いかけへの答えを探す必要に迫られた。
自分らしさとは何か。それを追求するために幼少の頃にまで遡(さかのぼ)った。自分をつくりあげた、幼い頃に過ごした大阪での記憶。人は育った土地の水と空気と土からできあがり、友達との夢中の遊びから多くを学び身につける。「べったん(めんこ)とか、ようしてましたしね。駄菓子屋行って買い食いしたり」。
数年前、大阪・寝屋川市の、今は空き家になっている生家を訪ねた。「ボロボロの文化住宅で、一緒に行った奥さんも土足で入ったぐらいです(笑)」。40年ほど前なので記憶は薄いが、憶えていたひとつが大漁旗。風呂敷のように大漁旗で布団などを包み、しっかりと結んでいた絵図が頭のなかに残っていた。久保の祖父は三重県南部、熊野灘に面する尾鷲市で漁師をしていた。不要になった祖父の大漁旗を母親が使っていたのだ。
その記憶は、日本らしい、自分らしいコレクションのヒントになった。久保の個人史は久保以外の誰のものでもない。本当のオリジナリティは普遍的な価値を持つはずと考え、20年春夏のコレクションにそれは反映させた。
19年の6月のパリで展示会前にセーヌ川の船上でみせたのは、そんなアイディアが込められたコレクションだ。日本で作ったVR(仮想現実)のムービーで、千葉県の海沿いでシューティングした。
VRのヘッドセットを着けて見ると360度のパノラマが広がり、鄙(ひな)びた桟橋をモデルが歩く。波の音や微かな揺れもムービーの内容と同期していい演出になった。「自分みたいな新参者がプレスやバイヤーの目をひこうとおもたら、こんなぐらいしないとダメだと思った」と久保。デジタル時代の新しい見せ方の提案という意味もあった。
今まで見た事のないパターンやディテールの追求というのが久保の頭の中に常にある。それを西洋の洋服文化という文脈ではなく、自分の個人史に始まり、その後、自ら調べ、さらに興味を持った日本という国の文化に求めたのが昨今のコレクションなのだ。レプリカや復刻ではなく、自分なりに昇華して新しいものとしてみせていくのが仕事と考えている。「この年になっても日本の事って何にも知らないな、と色々と調べるきっかけになりました」。
自らを形成するコアな部分を見つめ直して、自分なりに“らしい”ものを追求したのが、ここ数回のコレクションだ。「僕らと同じように海外に行く他のブランド見ても、そんな風なことはやってませんし、おもしろいかな、って」。和の要素とスポーツのミックスに加え、プリントや切り替えでデザインの面白さを追求している。